「ギャンブル等依存症」などを予防するために(指導参考資料)について

 文部科学省は平成31年3月、「ギャンブル等依存症」などを予防するために、生徒の心と体を守るための指導参考資料を発表している。ギャンブル等依存症(ギャンブリング障害)、ゲーム障害、あるいはひきこもりといった現象が社会問題化する中で「はじめに」に記載されているように早期予防をすすめる上で価値ある一歩であると思う。
 一方で、その記載に違和感を抱く部分もあり、その点を指摘しておきたい。ページにそって記述していく。

・p4、図2、これはたいした問題ではないが、図2「ギャンブル等にのめり込むことにより問題化するプロセス」では、問題の重大化を可視化するため、①ギャンブル等を楽しむ、②だんだん物足りなくなる、・・・④生活面で問題が起こってもやめられない、で矢印が太くなっていく。「重大化」を示すためにこうなっているのは理解できるが、人口比では①>②>③>④であり、だれもが④に至るわけではないので、①が95%くらい、④が5%くらいという世界標準な記載の方が誤読が少ないのではないか。

・p4、行動嗜癖を生み出す要因として、①心理的な要因(ストレスなど)、②環境的な要因(簡単に手に入れやすい、いつでも、どこでもできる)、③家族の要因(家庭環境等)、があげられている。これらは保健教科書のライフスキル論の流れによるものかもしれない。行動理論、学習理論などではよく使われるロジックの一つだが、①②③についての実証的な証拠は見当たらない。というか指導参考書資料に記載するくらいだから、RCT、システマティックメタアナラシスの論文が多数あるのだろうから、教えてほしい。浅学なゆえか、私は知らない。まさか、指導参考資料でエビデンスへの姿勢がおかしいことはないだろうし、そんな教育を保健でやるはずがないだろうから。
一方で、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)では「危険要因と予後要因」の気質要因として、小児期や青年期早期に始まるギャンブリング、反社会性パーソナリティ障害、抑うつ障害、双極性障害、物質使用障害(特にアルコール使用障害)との一体化が指摘されている。また遺伝要因と生物学的要因として、家庭内集積(環境、遺伝、両要因に関連)、二卵性双生児より一卵性双生児でより多くおこる、アルコール使用障害の人の第一度親族の中で頻度が高い、ことが指摘されている。経過の修飾要因には、青年期や成人期を含む多くの人が時間をかけて自分のギャンブリング障害問題を解決するようであるが、将来のギャンブリングの問題の強い予測因子は過去のギャンブリング問題である、と記載されている。
少なくとも、遺伝的要因や、背景または併存する障害についての記載は必要なのではないか。というのはp4、図2への指摘と重なるが、だれでもに行動嗜癖を生じうるリスクが均等にあるわけではないのが事実なので(双生児研究では50%程度が遺伝要因)、様々な遺伝要因やフルゲノム解析、iPS細胞なども扱っていくのであろう、高校の指導参考資料としては不備と思われる。
また、反社会性パーソナリティ障害、抑うつ障害、双極性障害、発達障害、統合失調症などの併存問題は、ひきこもり現象でも存在し、行動嗜癖という現象やひきこもりという現象を考える時、その医療的対処での区分は必須なので、記載すべきかと思う。

・p5、やめられなくなる脳の仕組み、では報酬系でのドーパミンの働きのみで説明しているが、この説明は、やる気をもって勉強する、仕事する、運動する仕組みと共通し、特に初期学習やリハビリ的再学習では、側坐核の活性化は必須なので、少なくとも島皮質などの痛み回路の関与により希求、渇望については触れた方が望ましいだろう。行動の開始や維持にかかわる要因と、行動の嗜癖化にかかわる要因は、実態調査でも区別されるので、楽しいこと、おもしろいこと、やみつきになりそうなことは危険、という単純なメッセージはいかがなものかと思う。

・p6、行動嗜癖の実感としての位置づけ、ではICD11での疾病化が中心に論じられる。しかし高校保健体育としては、ICD11で性同一性障害が疾病から除外されたことも重要で、その理由が差別問題でもあることから、高校生として疾病化の意味を深く考える機会をここで与えてもよいと思われる。

・p8、参考資料、久里浜医療センターでの実態、体験談。これらはだいじなデータではあるが、高校生では、こうしたデータへの統計リテラシー感覚、エビデンスレベル感覚の育成は必要だと思われる。たとえば、久里浜のデータは、医療センターに来た人についての統計で後ろ向き研究と呼ばれるものだ。ここで借金総額の中央値が400万円と記載されている。これは誤りではないが、適切なサンプリングによる人口を代表するような全国調査でのぱちんこによるギャンブル等依存症の借金中央値は10万円未満であり、後ろ向き研究によるミスリードの起こりやすさを示している。その学習のための「参考資料」なら首肯できるが、実態を伝えたいための資料だとすれば、科学の作法に反する。これはケースデータの扱いでも同様で、医療が確立してきたエビデンスレベル(どんな事実を信じるべきか)ではケーススタディは6段階の5番目、ケースの全体化は慎むべき想像である。
この問題は今後、ゲーム障害を扱う場合でも繰り返されることが予想される。マスコミに統計リテラシーやエビデンスレベルへの配慮がないからだ。高校の指導参考資料が同じ轍を踏むことは恥ずべきことだと思う。

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