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最後の方でハマっただけなので、コメントできるほど見ていないのだが、ラストフレンズで最終回で思ったこと。 ラストフレンズは、超少子高齢化社会の家族のありよう、社会のありようを象徴しているように思う。吉本隆明風にいえば、対幻想と共同幻想の新しいありようだ。 超少子社会とは、一人ひとりの子どもを大事に育てるほかない社会だ。200万人の同学年のうち、使える80万人が社会を担えばいい社会ではなく、生まれたすべての子が途中で死ぬことなく社会を担っていかなければ持たない社会だ。健康な子、強い子だけが生き残るのではなく、弱い子、発達の問題を抱えている子、家族問題を抱えている子、生育歴の問題を抱えている子、みなみな社会の担い手だ。 超高齢化社会は、どこかしこに病を抱え、認知機能の低下とつきあいながら生きる人々が爆発的に増える社会だ。身体の不自由、もの忘れ、キレやすさ、頑固さ、うつ、それでも重要な社会の担い手だ。 つまり、超少子高齢化社会は、身体的、精神的、脳的、発達的、家庭的、適応的、さまざまな問題を抱えつつ、それでも皆が雄々しく生きていく社会だ。平均的な健康社会人が人口の正規分布の中央部を高々と占めるのではなく、フラットな分布、ミルプラトー。だから価値は多様化し、性の意味付けは小さくなり、欠落をばらばらに認め合う集合体が生まれていく。宗佑の卑怯の位置づけ。ラストフレンズのシュアハウスは、高齢者ケアハウスによく似た性質をもつ。 ・・・と、言ったら、だからあんたはしょうもないのよ、と言われた。まさに、そういうこと。その多様さ。 「キレない子どもの育て方」(集英社)で表現したかったのも、そういう世界・心性だったのだが、まあ、ラストフレンズの方がすぐれているわけさ。世の常どおり。 |
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